COLUMN

11      637 文科省 靖国神社訪問を奨励?
文科省が都道府県教育員会に「学校行事として靖国神社を訪問してよい」とする政府文書を配布した。これは平沼赳夫衆院議員の質問趣意書に答えたもので、5月23日閣議決定していた。
この中で政府は、「靖国神社を他の宗教的施設と異なる取り扱いをする理由もない」「授業の一環として、歴史や文化を学ぶ目的で訪問してよいとの見解を示している。
1949年に文部省は学校主催の靖国神社訪問を禁ずる通達を出していたが、2008年3月、衛藤晟(自民)氏の質問に「すでに失効している」と答えた。
それを受けて平沼議員が「通達が有効であるという誤解が全国の教育委員会に残っている。これを払拭するための具体的措置」を求め、政府がそれに応じたもの。
 
塩谷立文科大臣に手紙、電話をしよう。
塩谷立浜松事務所 〒 430-0928 浜松市板屋町605 TEL:053-455-3711 FAX:053-455-3712.
塩谷 立 国会事務所 〒100-8982 東京都千代田区永田町2-1-2 衆議院 第二議員会館632号室  TEL:03-3508-7632  FAX:03-3508-3262
更新日時:2010/3
12      356 特攻隊を描く 二作品 my
9月20日夜、特攻隊を描く二作品が放映されました。『千の風になってSP戦場のなでしこ隊』(フジ系)と『俺は、君のためにこそ死ににいく』(WOWOW)です。
 『千の…』は出撃を間近かにした特攻隊員の姿を、なでしこ隊と呼ばれる女学生の目を通して描き、彼らの苦悩、葛藤と女学生の涙はそのまま見る者の胸を打ちました。敗戦の瞬間、隊員達に《食堂のお母さん》と呼ばれた鳥浜トメさんは、「私は彼らを殺してしまった、 笑って送り出してはいけなかった! 何としても死ぬんじゃない、生きて帰れと言わなくちゃあいけなかった!」と叫びます。無謀な侵略戦争の犠牲になった若者の悔しさを、無駄にしてはならないと感じます。
 一方の『俺は…』は見てありませんが、ある人は、「死へ向かう姿を潔しと、あたかも“男のロマン”のように描いている」といっています。
 あなたの感想を待ってます。  MY
更新日時:2010/3
13      352 TBS『3月10日〜東京大空襲』感想  my
1945年3月10日、カーチス・ルメイ将軍の指揮の下、東京の無差別爆撃が実行された。関東大震災を詳しく分析し、日本の民家を内部から焼く兵器として、焼夷弾(ナパーム弾)を開発。関東大震災で被災した下町と東京大空襲の被災地域が一致するのは偶然ではなかった。はじめからここを狙った“計画的犯行”だったのだ。一晩で10万人を焼殺したアメリカの蛮行に、「絶対に許さん」と怒りが再燃した。戦後、その残忍行為のルメイ将軍に、日本政府が勲一等の勲章を授与したと言うのだから、開いた口がふさがらない。 MYmy
更新日時:2010/3
14      320 映画「軍需工場は今」の感想  ノンチャン
*長崎市議会には《防衛議員連盟》があり、議員の過半数がに加入していることにビックリした。長崎と言えば原爆被害都市。毎年8月9日に、市長が立派な挨拶をすると感心していたが、こと『平和』とか『自衛隊』のことになると、批判はできない。バックに軍需工場『三菱長崎造船所』があるという。
 また、佐世保の商工会は、港を軍港一本化して(現在は軍民共用)、米軍空母などの寄港推進を決めたと言う。
 目先の損得に目がくらみ、平和に生きることの幸福を見失ったのか!?  
MY
 
*軍需工場の中で平和のために闘っている労働者が、「自分達の行動が会社のためにもなるのだ」と語っていたのが印象的だった。それにしても、『非健全従業員』リストを作り、それには本人の私生活や家族友人関係、趣味・娯楽・病歴など、徹底的に調べ上げていた。特高警察の時代と同じだ。
ノンチャン
 
更新日時:2010/3
15      103 峰の沢鉱山 強制連行中国人慰霊碑 massi
 2月14日、峰の沢鉱山跡を訪れました。
終戦の年、1945年1月から3月まで、中国から日本軍による“人狩り”で拉致されてきた男性が、鉱山の仕事中に沢山死亡しています。(拉致総数:197人移送中の死者:15人、鉱山での死者:66人。1944年12月下旬~1945年4月初め、わずか3か月で!)
はじめに、当時のことを詳しく知っておられる加藤さん(元・下平山妙蓮寺住職の奥さん、90歳)から実体験を聞きました。
加藤さんのお話「死因は鉱山での酷使というより栄養失調、拉致による気力喪失が主。鉱石採掘に従事できる体力ではなかったので、鉱石・材木の運搬や下働きをしていた。ほとんど毎日死者が出た。」
住職は出征中で不在だったので奥様が立ち会って死体を仮埋葬。3月末に鉱山に大火災があり、4月には中国人全員(116人)が日立鉱山に送られましたが、それ以後の消息不明。
 戦後、遺骨収集と中国への返還が行われ、妙蓮寺境内に慰霊碑も建てられましたが、補償はまだ行われていません。 massi
 
*慰霊碑(妙蓮寺)へのコース 自家用車がないと困難
 西鹿島駅―(0:45)―瀬尻(天竜川を渡り、右折。南下しながら、山の上に登ってゆく。)―(0:15)―妙蓮寺(天竜区竜山町下平山)。
      
更新日時:2010/3
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Last updated: 2010/12/1

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